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ソーラン節の歴史

“ソーラン節”といえば、「ヤーレン、ソーランソーラン。。。♪」と、学生たちが踊りながら掛け声を発したりして運動会など行事の際に披露するもの、というイメージが強くありませんか?
昔あった“学園ドラマ”でも披露されていたので、懐かしい気がします。

そして、皆さん“ソーラン節”がいつ・なぜ誕生したのか知らない方がほとんどではないでしょうか!!
実はこの唄、魚の“ニシン”を獲るところから、卵(数の子)を棒で打ち落す、過酷な労働に耐えるための“掛け声”のようなものだったんだそう。

“ソーラン節”発祥の地“後志・積丹半島~余市郡にかけての地域”は、江戸時代から昭和初期にかけて“ニシン漁”で賑わっていました。
地元の人たちだけではなく、毎年春になると、北海道各地や東北地方からニシンをたくさん獲って、金稼ぎをしようと“ヤン衆”と呼ばれる集団が次々と押し寄せるほど!!彼らは“鰊御殿”と呼ばれる宿舎のようなところで生活していて、ニシンの大群がやってきた!という連絡を耳にすると、網をもって船を出していたんだそうです。

大量のニシンは浜に揚げられ、一部を干物にする他は、すべて大きな釜で炊いて“魚油”を抽出し、残ったかすを“鰊粕”にして加工されていました。この“鰊粕”は、西日本へ送られ、ミカンや藍などの高級な肥料として好評だったそうですよ!

ソーラン節・別名「鰊場作業唄」は、元々“青森県野辺地町”で知られていた「荷揚げ木遣り唄」が変化していき、誕生した唄。

「鰊場作業唄」は4つの構成からできていて、まず、ニシン漁へ出かけていく際に「オーシコー、エンヤーァエー 、オーシコー」
という掛け声で船を漕ぐ。次に、ニシンが入っている網を持ち上げる際に「ヤーセィ、ヤサホイ」と声を合わせて持ち上げ、“枠網”と呼ばれるものの中にニシンを移し替える。

移し終えたニシンを、大きなタモ網で「ソーラン、ソーラン」と汲み出し、そして最後、網の中に産み付けられている卵を「アリャリャン コリャリャン ヨーイトナー」と連呼しながら竹の棒を使い、打ち落として一連の作業が終わります。

この作業を行うのは、少し暖かさを感じられる春。ですが、北海道の春といえばまだまだ肌寒く、海の上での作業は過酷なんです。それを乗り切るのにも、この唄が必要不可欠だったんですね♪
黙々と作業するよりも、皆で声を合わせるだけで元気になれますし、力が湧いてくる感じがしますよね!
たまに即興で歌を熱唱し、その場を和ませたりもしていたんだそうですよ^^

“ソーラン節”には、このような隠れた歴史があったんですね!!