江戸から明治、(北海道南端にあたる)渡島(おしま)・桧山(ひやま)沿岸ではニシン漁で賑わい、越後(現在の新潟)から北海道へ渡ってきた瞽女(こぜ)と呼ばれる目の不自由な旅芸人達に唄い継がれた物語風の口説き節。
瞽女(こぜ)さん達は、僅かなお金をもらいながら流浪の生活を送り、行く先々で見聞きした風景・人情話を各地の地名を織り交ぜ唄い、人々の情けを受け生計をたてていたと言われています。
出だしの「オイヤーサーエー」は「ごめんください」という意味で、「新保広大寺くずし」という唄と同じ様式です。
「新保広大寺くずし」は瞽女(こぜ)さん達にとっては慣れ親しんだ故郷の唄であり、彼女たちの新しい土地での期待と故郷への哀愁が、同じ様に入植してきた人々の共感をよび各地で広がり、残された歌詞は40種類以上あると言われています。
①【道南口説】
オイヤサーエ
オイヤ
私ゃ道産子の荒浜育ち
声が悪いのは親譲りだよ
節が悪いのは師匠無い故に
一つ歌いましょう はばかりながら
オイヤ
上でゆうなら矢越(やごし)の岬よ
下でゆうなら恵山(えさん)のお山
登り一里で下りも一里
恵山お山の権現様(ごんげんさま)よ
オイヤ
わずか下れば
湯茶屋(ゆじゃや)がござる
草鞋(わらじ)腰に付け椴法華(とどほけ)通りゃ
恋の根田内(ねたない)情けの古武井(こぶい)
思いかけたるあの尻手内(しりしない)
オイヤ
沖に見えるはありゃ武井(ぶい)の島
武井の島には鮫穴ござる
とろりとろりと浜中通りゃ
沖のカモメに千鳥ヶ浜(ちどりがはま)よ
オイヤ
戸井の岬を左にかわし
汐の名を取って汐首の浜
顔を隠して釜谷(かまや)をすぎりゃ
小安気もやく皆谷地山(みなやじやま)よ
今夜の泊まりは
磯谷(いそや)の温泉にひとつかり
②【道南口説きに乗せて道南の海を走破中】
オイヤサーエ
オイヤ
主と別れた山の上の茶屋に
鴎(かもめ)鳴く鳴く臥牛のお山
甲斐性無いゆえ
弁天様に
振られ振られて函館発てば
オイヤ
着いた所が亀田の村で
右に行こうか左に行こうか
ままよ七重浜久根別(なないはまくねべつ)過ぎて
行けば情けの上磯(かみいそ)ござる
オイヤ
沖の大船白波わける
わたしゃもへじの道踏みわけて
もったもったと岬をゆけば
ここは知られた当別(とべつ)の浜
オイヤ
金の住川 千軒岳よ
越えてくだれば福島見える
酔うて過ぎても白ふの浜ヨー
情けよし岡 泊って根先
今夜の泊りは城下の茶屋で泊るサーエ
オイヤ
足をのばして峠にかかる
上り一里で下りも一里
浜に下れば白神の村
ついに見えたよ 松前城下
今夜の泊まりは城下の茶屋でござるサエ