「江差追分」(esashi oiwake)

http://esashi-oiwake.com(江差追分会ホームページ)

日本を代表する民謡の一つであり、北海道指定無形民族文化財にも指定されています。

江差(えさし)町は、ニシンを中心とする交易で栄えた港町で、かつては「江差の5月は江戸にもない」と言われる程の賑わいでした。ですが、そこで働く人々は、自ら望んで来た者ばかりではありませんでした。

出稼ぎに出るしか食べてゆく道がなかった人、郷里に帰っても働き口がない人…

飢餓の年には、仕事を求めて蝦夷地に大勢の人が流れ込みました。

しかし、蝦夷地の暮らしも楽なものではなく、仕事には危険も伴い、不漁の年も当然あります。

冬の寒さの厳しさ、激しい労働…繁栄を支えた人々の苦境がこの唄にも唄い込まれています。

①【江差追分 唄:佐々木基晴】

当時、神威岬(かむいみさき)より北に女性が立ち入ることは禁止されており、奥さん、あるいは恋人達は、男一人を送り出さなければなりませんでした。

そもそも、「追分」(おいわけ)とは、分かれ道を意味し、「(後を)追う」ことが出来たらという、願いも込められており、追分節には人々の惜別の想いも感じられます。

 

(前唄)
波は磯辺に 寄せては返す ヤンサノエ
沖はしけだよ 船頭さん
今宵一夜で 話がつきぬネ
明日の出船を のばしゃんせ
(本唄)
泣いたとて どうせ行く人
やらねばならぬ
せめて波風 おだやかに
(後唄)
泣くなといわれりゃ なおせきあげてネ
泣かずにおらりょか 浜千鳥

②【江差追分(前唄・本歌・後歌)浜田喜一(初代)】

親しい者と別れ、かもめの鳴く声を聞きながら、船旅を経て遂に蝦夷地が見え来ます。

故郷を離れ、新天地への期待や不安を感じながら、「ここで生きていくしかない」のだと北海道へ降り立ったのでしょう。

 

(前唄)
国を離れて 蝦夷地が島に ヤンサノエ
幾夜寝覚(いくよねざ)めの波枕
朝な夕なに聞こゆるものはネー
友呼ぶ鴎(かもめ)と波の音
(本唄)
鴎の鳴く音に ふと目を覚まし
あれが蝦夷地の山かいな
(後唄)
月をかすめて 千鳥が鳴けばネー
波もむせぶか 蝦夷の海