『ソーラン節』の冒頭で、「YOSAKOIソーラン」というものを少しだけ紹介しましたが、“踊れるソーラン節”の原点はこの「南中ソーラン」。
いわば“現代のソーラン節”についてもう少し紹介したいと思います。
“南中”というのは、稚内に実在する稚内市立稚内南中学校のこと。
学校の公式HPのトップページにも、「南中ソーラン」の画像がすぐに目につき、シンボリックな存在として確立しています。
今から30年程前、まだ「学級崩壊」なんて言葉もない頃ですが、学校内では暴力やいじめなどが横行していたそうです。
ある程度の落ち着きを見せ始めた頃から、生徒達によるソーラン節の演舞が始まりました。
『第1回文活では「学校再生の土台ができたことを確認」し、生徒に大きな自信を育てることができました。第2回目は学校がすっかり落ち着いた中で、「南中建設の方向を確かめあう」ものでした。』
(稚内市立稚内南中学校「南中ソーラン」より抜粋)
※文活…文化活動発表会という「郷土芸能の伝承」のための学校行事
なるほど、明確な目的意識のもと、ソーラン節は学校の中で大きな役割を担っていたのです。
そうした流れの中で、ある先生がアップテンポにアレンジされた「ソーラン節」と出会ったことで、また新しい誕生を迎えます。
それまでの、正調のソーラン節(元祖ソーラン節)とは違うため、先生達は一から振り付けを考えだし、生徒の意見も合わせながら作り上げ「新・ソーラン節」を生み出したのです。正しく、これが現在「南中ソーラン」と呼ばれるようになったもの。
この呼び名は、平成4年・5年に出場した「民謡民舞大賞全国大会」で輝かしい成績を納めた事で、全国的に注目を集めたことで自然と呼ばれるようになったのだとか。
これら一連の学校の変化は、「ソーラン節で学校が再生した」という展開の方がドラマチックな印象になるせいか、勘違いをされる事もあるそうですが、事実がどちらだとしても、当時の先生達、保護者、地域の人たちは、きっと大変な苦労があったことでしょう。
そして、再生しかかった学校をさらにまとめあげる一因になった「ソーラン節」という存在。
かつて、ニシン漁の際に歌われていた歌と大人達の姿は、子ども達の心にも確実に何かを感じさせたのでしょう。
今では、日本全国の小中高等学校にも広がりはしましたが、「やっぱり本家は違う」なんて言われる事もあるようです。
これは、勝手な想像ですが、子ども達の「自分たちは変わったんだ!」という意志表示が多くの人の琴線に触れ、評価された事で生まれる新たな誇りがそうさせている様な気がします。
ソーラン節の力強い調べにのせて、これからも代々受け継がれていくといいですね。